【茨城県・鹿島神宮】武道の神から受け取る「強い意志力」

公開日 2019年4月27日 最終更新日 2021年10月2日

東国三社参りで名をはせる鹿島神宮は、日本の東端・鹿嶋市にある。春日大社が鹿島神宮から分祀され、神の遣いである鹿が奈良まで飛んでいった話はあまりに有名である。鹿島アントラーズの名前も、ここに由来する。源頼朝をはじめとした関東武者たちが絶大なる信仰をしてきた鹿島の大神は、武道の神、意志を貫く神としても知られている。

令和の大改修中

大改修の案内板/鹿島神宮

鹿島神宮は、令和3年~8年までの間、奥宮、拝殿・幣殿、楼門と、順次改修工事中。訪れる際はご注意を。
令和3~4年 奥宮
令和4~6年 幣殿・拝殿
令和6~8年 楼門

鹿島神宮とは?

鹿島神宮拝殿

鹿島神宮がある、茨城県の東端にある鹿嶋市は、サッカーチーム:鹿島アントラーズでもお馴染みの町。神社仏閣巡りが大好きな人の間では有名な「東国三社参り」の一社である鹿島神宮が鎮座している。鹿島神宮には、古事記にも登場する国譲りの物語の中でも、重要な役割を担う神様が祭られている。

御祭神

武甕槌大神/鹿島神宮

鹿島神宮の御祭神は、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。すぐ近くにある香取神宮の御祭神、経津主大神(ふっつぬしのおおかみ)と共に、出雲の国の王であった大国主命(おおくにぬしのみこと)に、「天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)へ国を譲ってほしい」と交渉をした神様だ。武甕槌大神は交渉の際、剣の先に座って交渉したとされ、天津神の中でも一番”武”に秀でた神とされている。大国主命は条件をつけたものの、すんなり国を譲り、結果、誰の血を流すこともなく大和と相成り、その後も、荒ぶる国津神を平定する為に尽力したことから、「建国の神」「戦い・勝利の神」として、戦国時代の武将からも崇拝されてきた。

なぜ鹿島の地に、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)が祭られているのか?については、国土の東端であった常陸国は、国にとって重要な地であったことから、「はじまりの国を守る」「陽の昇る重要な地であるこの地を守る」ため、最強の武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)が祭られているのではないかとされている。

春日大社への分祀

春日大社/奈良県

この地は藤原鎌足の出身地として知られている。神様は、神の遣いである鹿に乗って奈良まで飛んで行ったとされ、春日大社や奈良公園の鹿は、ここ鹿島に由来している。

剣豪と「鹿島立ち」

戦国時代に活躍した、常陸国生まれの剣豪:塚原卜伝(つかはらぼくでん)のドラマや小説の舞台であることから、鹿島神宮へ訪れる人が多かったよう。また、東男(あずまをとこ)と呼ばれた屈強な防人(さきもり)が、西へと旅立つ際に使ったとされる「鹿島立ち」という言葉が、鹿島神宮とその周辺を有名にしていくことになる。

鹿島神宮の境内を歩く

鹿島神宮の境内は広大だ。地図を見ながら全て参拝して回るとなると、おおむね2時間~2時間半ほどはかかる。鹿に餌をあげたり、茶店で軽くランチやお茶をするとなると、午前中いっぱいかかる計画に。もし時間があるようなら、境内の外にあるスポットへもぜひ足を運びたいものだ。

再建された大鳥居

再建された鳥居/鹿島神宮

鹿島神宮駅から、鹿オブジェが並ぶ門前町を抜けて参道を歩いて行くと見えてくる大鳥居。この大鳥居は、東日本大震災によって倒壊し、建て直されたもの。倒壊前は茨城県産の御影石で造られていましたが、新大鳥居は、境内から切り出された4本の杉で造られたのだそう。

摂社・末社

摂社・末社への入口となる鳥居/鹿島神宮

鹿島神宮には、境内の中と外に多数の摂社末社がある。御手水のすぐ横には、摂社末社へ参拝できる小路があるのだが、ひっそりしていてどこか近寄りがたい雰囲気。ついつい、御手水を済ませたら楼門へと向かってしまいがちだ。ここには、多くの神々が祭られていて、その中には祝詞の神さまも鎮座されている。手や口だけでなく、身体全体を祓い清める意味でも、摂社・末社へ参拝することがおすすめだ。その方がご利益たくさんいただける。

楼門

楼門/鹿島神宮

「鹿島に来た!」と毎度思うこの立派な門は、徳川家康が病気平癒の御神徳があったとして奉納したものなのだそう。日本三大楼門の一つで、国の重要文化財になっている。

高房社と仮殿

仮殿/鹿島神宮

楼門をくぐって右側には、近年建て直されたばかりの拝殿と本殿がある。本殿の裏には御神木が、拝殿の手前には樹齢800年と、御神木に次いで長生きの次郎杉がある。このまま拝殿へ向かいたいところですが、拝殿と反対側・参道の左側にある小さなお社がある。高房社には、この国を平定する際、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を助け貢献された神様が祭られている。こちらに先に参拝する習わしだ。

拝殿

拝殿/鹿島神宮

拝殿は、参道の右側にって、奥宮・拝殿・本殿すべて、北に向かって建てられている。北は、大和に従わなかった蝦夷の地で、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)が平定のため大いに力を発揮した地だ。力で抑え込むのではなく、あくまでも「秩序をもたらす神」として、古から北を向き鎮座されているのだそう。そういえば、東北・宮城県の鹽竈神社には、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)と経津主大神(ふっつぬしのおおかみ)が祭られているが、南を向いて建てられている。

奥宮

奥宮へといたる参道/鹿島神宮

拝殿で参拝したら、さらに奥へと進むと、茨城県の指定天然記念物になっている広大な森が広がっている。参道の途中には、複数の末社があるので、忘れずに手を合わせよう。途中、左側には鹿園があります。餌をあげたり、写真を撮ったり。ちょっとした癒しになる。

奥宮/鹿島神宮

そして間もなく右側にあるのが、奥宮だ。この奥宮には、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)の荒魂(あらみたま)が祭られている。茅葺屋根の奥宮の社殿は、徳川家康が関ヶ原合戦における勝利の御礼として奉納したという歴史あるもの。力強い氣を放つ奥宮は必ず参拝を行い、もし時間があれば向かいの茶店で一服しながら、奥宮の放つエネルギーにじっくり浸るのもおすすめだ。
ちなみに、境内の外になるが、同じ荒魂が祭られている場所がある。武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)が降り立ったとされる、跡宮だ。今は小さなお社がひっそりと残っているだけだが、元々はここが本殿で、ここから春日大社へ御分霊が移されたとされている。

御手洗池と茶店

御手洗池/鹿島神宮

茶店の横を通って、さらに奥に進むと見えてい来るのが「御手洗池」だ。身長の高低に関わらず、入れば誰もが胸のあたりまで水位が来るとされる不思議な池だ。この池の奥にある柄杓で禊をしたり、ペットボトルに入れて持ち帰ることもできる。この湧き水で淹れたコーヒーを横の茶店でいただける。コーヒーを一杯頼めば、混ぜたら味がまろやかになるマドラーをプレゼントしてくれれる。寒い日も暑い日も、立ち寄ってみると「ほっ」とする私の定番スポットだ。

大鯰(おおなまず)の碑と要石

要石/鹿島神宮

武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)が、ナマズの頭を踏みつけて地震を抑えているという碑と、「要石」がある。水戸の光圀公・水戸黄門が、7日7晩かけて堀り進めたにもかかわらず、底が見えなかったとされる不思議な石だ。香取神宮にも要石がある。

四つの「一之鳥居」

東西南北にある鳥居

東の一の鳥居の看板/鹿島神宮

鹿島神宮の境内は広大だが、神域はさらに広大だ。東西南北にある「一之鳥居」の中が鹿島神宮の神域内とされる。東は海辺である明石浜、西は大船津の北浦の湖面、北は神戸の森の中に、南は息栖神社前にある。一番の注目は、明石浜の東の鳥居だ。

東の一之鳥居/鹿島神宮

明石浜/鹿島神宮

この明石浜は、武甕槌大神が上陸された神聖な場所とされている。古代、大和の国で最も早く日の出を拝める場所であったこの海は、とても神聖な場所であったのだ。

跡宮

鹿島神宮から20分ほど歩いた場所にある跡宮は、元々鹿島神宮の神様が祭られていた場所。春日大社へ分祀されたのは、この場所に本宮があったころなのだそう。

オリジナルの天津祝詞のCD

祝詞の神様/鹿島神宮

鹿島神宮の社務所で、ぜひ手に入れていただきたいのが、天津祝詞のCD。上でご紹介したように、ここ鹿島神宮の摂社末社には、祝詞の神様が祭られている。その関係でなのかどうかは不明だが、オリジナルの天津祝詞のCDが販売されている。川のせせらぎや鳥の声などの自然の音をバックに、とても澄んだ声で奏上する女性の美しい祝詞は、神主さんが奏上する祝詞とはまた違って良いものだ。ご興味ある方はぜひお手元へ。

おみくじも種類豊富/鹿島神宮

わざわざ海外旅行前に鹿島神宮へ来て、「鹿島立ち守り」という御守りを購入してから旅立つ人もいた。帯占いや勝守など、あれもこれも欲張っていただきたい御守りもたくさんある。ご祈祷を受けるといただけるワカメも最高だ。

アクセス

授与所・社務所/鹿島神宮

東京駅八重洲南口JRハイウェイバス1番のりば
運賃は、ICカード乗車可・1950円(片道)。チケット売り場でクレジットカード利用可。
時刻表はこちらのページから。

 

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