
皇子を育んだ学都の町アマスヤ
公開日 2021年10月18日 最終更新日 2021年10月18日
イェシル・ウルマック(緑の川)のほとりに立ち並ぶ伝統的な家屋と、その背後にそびえる岩窟墓。なんだかインパクトのある風景のアマスヤ(Amasya)は、日本ではまだまだ、あまり知られていない観光地の一つだ。アマゾネス女王が住んでいた町であり、数々の優秀な人材を世界へ送り出した町であり、オスマン帝国時代は、皇子がこの町で執政を学んだとされる町であり、トルコ建国の父であるアタテュルクが重要な文書を作成した町でもある。黒海地方のアマスヤを旅してみよう。
アマスヤについて
アマスヤはココ

東黒海地方の地図
アマスヤは、黒海地方にあるアマスヤ県で、県都はアマスヤ市だ。人口が15万人ほどの都市で、アナトリアで最も古い町の一つであり、古くから優秀な人材を生み出す学都として栄えてきた。山々に囲まれた町の中心をイェシル・ウルマック(緑の川)が流れ、川沿いに集落があるアマスヤは、その景観が美しく私のお気に入りでもある。

アマスヤ/トルコ
アマスヤは黒海沿岸沿いの町ではなく、少し奥まった山側にあって、谷につくられた町だ。アマスヤに行くさいは、黒海で一番の都会であるサムスンからアクセスする。
学都・アマスヤ

アマスヤ/トルコ
古代、アマシスやアマセイアとよばれていたこの町は、川の上の崖にある要塞都市で、アマゾーン(アマゾネス)の女王が住んでいたとされている。250年にわたって、ポントス王国の首都でもあった。その歴史は古く、ペルシャやローマ帝国時代のコインにアマスヤの名が刻まれているほど。

アマスヤ/トルコ
古から、王侯貴族、芸術家、科学者、詩人や思想家など、多くの優秀な人物を世に送り出したこの町は、アナトリアで有数の学術都市でもあった。オスマン帝国になってから、第3代皇帝ムラト一世、第9代皇帝セリム一世などの皇子がアマスヤに送られて統治し、経験を積むことが習慣だったことは、そういったことが関連しているとされている。今でもアマスヤには、多くの博物館がある。

リンゴの木/アマスヤ・トルコ
アマスヤは、リンゴの名産地であることで知られている。小ぶりで香りが高く、とってもジューシーなリンゴは、市場にはあまり出回らない貴重なもの。真っ赤なリンゴもあれば、黄味がかったリンゴもある。
見るべき古代遺跡4選
1. ポントス王の墓

ポントス王墓/アマスヤ・トルコ
アマスヤは、250年にわたり、ポントス王国の首都であった。紀元前2世紀頃に造られた、ポントス王の墓(Harşena Dağı ve Pontus Kralları Kaya Mezarları)は、アマスヤの必見スポットになっている。高さ12mほどあるので、王墓から見下ろすアマスヤの町並みは絶好のフォトスポットでもある感じ。川の向こうは、新市街、こちら側が復元されたコナックが並ぶ旧市街。岩窟墓までは、スロープを使ってのぼる。滑りやすいので、訪れる際にはスニーカーなどが良い。
2. クズラル宮殿とカフェ
1146年、セルジューク朝の皇帝メスッド一世がこの地域にモスク、学校、浴場、宮殿を建て、オスマン帝国初期にハレムを増築していると思われる遺跡クズラル宮殿(Kızlar Saray)が発掘されたらしい。オスマン帝国の皇子らが、150年以上にわたって住んでいた宮殿があった重要な発見である。1852年まで使われていましたが、残念ながら、今はご覧のように荒れ果てて見る影もない。

アマスヤ/トルコ
ここのおすすめは、すぐ近くにあるカフェ。王墓の近くにある高台にあるカフェからは、アマスヤが一望できる。
3. タシュ・ハン

タシュ・ハン/アマスヤ・トルコ
17世紀頃に建てられたアマスヤの隊商宿・タシュ・ハン(Taş Han)は元々は隊商宿(キャラバンサライ)で、現在はホテルとして利用されている。日本ではあまり知られていない、静かな黒海地方のアマスヤで伝統的なホテルに泊まる貴重な経験をしてみるのもいい。
タシュハン・ホテル公式サイト
4. ブユック・アー・マドラサ

ブユック・アー・マドラサ/アマスヤ・トルコ
1488年、皇帝ベヤズィット二世によって建てられたイスラム教の神学校(Kapı Ağası Medresesi(Büyük Ağa Medresesi)だ。他地域で見る神学校とは違い、セルジューク様式で建てられた最初の神学校とされていて、八角形の形をしているのが特徴だ。地震で崩壊してしまったけれど、1978年に修復された。とても美しい円を描く柱廊は一見の価値がありますよ。
学都アマスヤが誇る博物館4選
1. トルコの伝統家屋コナックとハゼラン邸

ハゼランラル・コナウ博物館/アマスヤ・トルコ
黒海地方の各都市に残されている、トルコの伝統的な家屋は、ここアマスヤでも復元され、川沿いに軒を連ねています。これらの建物は、カフェ、レストラン、ホテル、美術館として利用されています。木造の家屋は、日本人なら誰もが落ち着く空間です。

アマスヤ/トルコ
夜のライトアップはなかなか派手だ。川沿いにならぶ家々と、背後にある岩窟墓はけっこうインパクトあるので、カメラを構える人がずらっと並んだりする。
アマスヤ博物館のすぐ隣にある「Hazeranlar Konağı(ハゼランラル・コナウ)」でコナックを見学できる。ミュージアムでは、人形を用いて当時の暮らしぶりが細かに再現されている。この家屋はハゼラン邸を博物館にしたもので、古い城壁の上に立てられたコナックは、地上2階建て・地下は美術品が展示。私は博物館が大好きなので、見応えがあって好き。
2. サブンジュオール外科&医学史博物館

サブンジュオール外科&医学史博物館/アマスヤ・トルコ
イルハン朝時代の1308年~1309年に建築されたもので、町では最古の建物らしい。当時の皇帝メフメット・オルジャイトゥと妻ウドゥズ・ハトゥンによって建てられ、2011年から、医学史の博物館として公開されている。征服王メフメット2世治世の時代、アマスヤ出身の著名な医師・サブンジュオール(Sabuncuoğlu)のための博物館(Sabuncuoğlu Tıp ve Cerrahi Tarihi Müzesi)でもある。彼は、外科・小児科・耳鼻咽喉科・精神疾患などあらゆる症状の患者を請け負った、著名な医師であった。当時の音楽療法や、痛みに対する対処法、使われていたメス等を見学できる貴重な博物館だ。
3. 皇子博物館

皇子博物館/アマスヤ・トルコ
アマスヤは、皇子の勉強の場所であったことはすでに書き記したとおりなのだが、15~16世紀、オスマン帝国初期の皇子の暮らしぶりや様子が人形で再現されているおもしろい博物館(Şehzadeler Müzesi)だ。アマスヤで一番訪れるべき場所と言え、トルコ文化観光省イチオシの博物館(たぶん)のようだ。英語のみだが、皇子に関する30分の長編ビデオを上映している。
4. アマスヤ博物館(考古学博物館)
アマスヤ博物館(Amasya Müzesi)は1925年に設立され、後期新石器時代から、ヒッタイト、ペルシャ、ローマ、ビザンチン、セルジューク朝、オスマントルコ帝国に至るまで、13の異なる文明の作品を見ることができる。

アマスヤ博物館 画像:トルコ文化観光省公式サイト
この博物館で有名なのは14世紀のミイラだ。博物館内の特別なセクションに展示されていて、アマスヤで高官を務めた人々のミイラらしく、博物館の最も興味深い展示物となっている。
トルコ共和国建国の記念すべき町
サライデュズ国立闘争博物館とコンベンションセンター
あまり日本人には馴染まない観光スポットだが、トルコ人にはとても重要な観光スポット(って言っていいのかわからないけれど)が、このコンベンションセンター(Saraydüzü Kışla Binası Milli Mücadele Müzesi Ve Kongre Merkezi)だ。トルコは、第一次世界大戦後、連合軍によってイスタンブールが占領されてしまう危機的状況にあった。どの国がトルコのどの地方を統治するかについて、話し合いが持たれようとしていた、まさにその時。オスマン帝国皇帝の依頼を受け、帝国の高官であったアタテュルクは、アナトリア東部帝国軍をまとめ上げるため、サムスンへ到着。

アタテュルク像/サムスン・トルコ
その後、ここアマスヤで、複数の高官とともに、トルコ独立戦争へのきっかけともなる、「トルコ分割統治危機への宣言書」をまとめあげた。
“国家の完全性と国家の独立が危険にさらされており、イスタンブール政府がその責任を果たすことができず、この状況により国家が消滅したように見える。国家の決意が国家の独立を救う”
と記して、全軍へと発信したのだ。つまり、イスタンブールには、オスマン帝国の皇帝がいたのだが、皇帝に服属することに異を唱えると同時に、独立戦争に向けての強い決意と行動を促したのである。新たなトルコという国がスタートした重要な文書となっている。そしてこの後の独立戦争において、連合軍も驚愕の快進撃を見せ、最後となったイズミルでギリシャ軍に勝利し、トルコの分割統治を回避することに成功する。独立戦争の勝利を果たしてトルコ共和国建国となったわけだ。アタテュルクの強い決意はいかほどだったのか。それを受けたトルコ軍とトルコ人たちの強い決意と意志はどれほどのものだったのだろうか。

サライデュズ国立闘争博物館とコンベンションセンター/アマスヤ・トルコ
館内は、人形を用いて宣言書が作成されるまでの様子が展示されていて、コンベンションセンターにもなっているらしい。無料なので、アマスヤ観光で時間があれば立ち寄っておきたいところでもある。
公式PR動画
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
※この記事は、トルコのとりこ(2019/9/6)をリライトしたものです。