アンタルヤ県にある「リュキア連盟」遺跡をご紹介!~その2~

公開日 2021年10月11日 最終更新日 2021年10月15日

アンタルヤ県には、リュキア連盟時代の遺跡が多数残されている。リュキア連盟は、小さな都市が集まって民主主義の政を行っていた素晴らしい国で、遺跡好きの私としては「こんな有名じゃない遺跡」として見逃すことはできない。その遺跡のすべてを書き連ねるのはちょっと難しいので、主だったものだけを集めてみた。リュキアの古代都市シリーズ2回目の今回は、山中の要塞都市アリカンダ、アランヤにある古代都市シエドラ、気軽に泳げてしまう遺跡リミラ、水中に沈んだ遺跡シメナをまとめてみた。

アリカンダ遺跡

アリカンダ遺跡(Arykanda örenyeri)は、19世紀に入ってから、イギリス人研究家によって発見された遺跡です。リュキア連盟国の一都市とされ、港湾から遠く離れた陸の都でした。GoogleMapにも掲載されていない、秘密の遺跡である。

アリカンダ遺跡の歴史

アリカンダ遺跡/アンタルヤ・トルコ

アリカンダ遺跡は、リュキア連盟国において最も古い町の一つとされる。北は断崖で、東と西は急斜面になっており、それらは天然の要塞として長くこの町を保護してきた。リュキアの主要都市は主に港に面し、交易で繁栄してきたのだが、アリカンダは、陸路の主要道路に面していたため、陸の交易拠点であり、安全な宿泊場所であったようだ。

アリカンダ/アンタルヤ・トルコ

最盛期は、2~3世紀頃、ハドリアヌス帝時代とされている。他のリュキア各都市同様、大地震とアラブ人の侵攻によってこの町は滅んでしまった。

アリカンダ遺跡のハイライト

アリカンダの劇場/アンタルヤ・トルコ

最も古い建物は、紀元前4世紀頃に建てられた太陽神ヘリオス神殿で、他の建物群は、おおむね2~3世紀頃の最盛期に建てられたものとされる。劇場では当時、スポーツや音楽コンサートなどを開催していたそう。ここからの景色は見晴らしがよいため、フォトスポットとなっている。

アリカンダ/アンタルヤ・トルコ

いくつかの店や、議事堂、モザイクの邸宅なども見逃せない。この町の水は、山からの湧き水を大通りの下を通して分配していたそうだ。斜面をうまく利用して建てられていて、どの建物からもパノラマビューが楽しめたらしい。アリカンダは、階段状のテラスと松と杉に上手に隠された防衛都市であったのだ。

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シエドラ古代都市

シエドラ古代都市(Syedra antik kenti)は、アンタルヤの東側にある町・アランヤにほど近い。眼下にアランヤの海岸線と家々と大地を臨める高台にある。遺跡近くにある洞窟では、洗礼が行われていた。

シエドラ古代都市の歴史

シエドラ遺跡から見るアランヤ/アンタルヤ・トルコ

シエドラがあるのは、標高400メートルの高台。町は、高台にあるアッパーヒルズと、その下に広がるローワーヒルズにわかれており、2つの集落は階段でつながれていた。紀元前7世紀頃から存在していたシエドラの町の最盛期は2~4世紀頃とされ、ギリシャとの住民交換が実施された13世紀以降、この地は放棄された。

シエドラ遺跡/アンタルヤ・トルコ

シドラの民は、襲来した海賊に勇敢に挑み、ローマ皇帝から賞賛を受けたという歴史がある。西暦194年頃のことで、ちょうどこの直前にこの町に城壁がつくられ、住民の数は4500人ほどだったようだ。

シエドラ古代都市のハイライト

シエドラ遺跡/アンタルヤ・トルコ

最も重要な施設とされているのがスポーツセンターだ。また、一部は屋根で覆われていたという「列柱通り」は、住民が集まる中心地とされる。5つの貯水槽、神殿、ビザンチン教会、オリーブオイル製造所などがある。いずれもローマ帝国時代以降のもので、それより以前のものは残されていない。

シエドラ遺跡/アンタルヤ・トルコ

建物の一部は豪華なモザイクで覆われていて、その一部を見ることができる。出土した碑文と一部の発掘物は、アランヤ考古学博物館が所蔵・展示している。

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アランヤ考古学博物館

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リミラ遺跡

リミラ遺跡(Limyra ören yeri)は、車で行かなければいけないアクセスが不便な場所にある。のだが、道路の北と南に広がる遺跡は湧き水のためにプールのようになっていて、水着なら入ることもできる、おもしろい遺跡だ。

リミラ遺跡の歴史

リミラ遺跡/アンタルヤ・トルコ

リミラは、ヒッタイト帝国時代にズマッリとよばれていた町であった。アンタルヤ県の海岸沿いの小さな町フィニケから9kmほど北にあり、トチャック山の麓に広がる遺跡だ。発見されたのはわりと最近で、1970年代になってからオーストリア人の考古学者によって発掘された。

リミラ遺跡/アンタルヤ・トルコ

この町は、アテナイの英雄ペリクレスがペルシャ人に戦いを挑んだ際、重要な戦略的拠点になった。最も繁栄したのはローマ帝国時代で、ペリクルスやローマ時代の記念碑が残されている。他の遺跡と同じく、8~9世紀頃、アラブ人侵攻にともない終焉を迎えた町の一つである。

リミラ遺跡のハイライト

リミラ遺跡/アンタルヤ・トルコ

小さな町だが、山の麓に広がる劇場には8,000人ほどが収容可能で、劇場の横には浴場もある。山側には400を超える岩窟墓が並んでいて、一部は道路に埋もれてしまっているようだ。あの有名なシーザーは、ここリミラで亡くなった。道路を挟んで反対側の湿地には、ローマ皇帝ガイウス・ユリウス・カエサルの慰霊碑が建てられている。カエサルの遺骨はローマまで運ばれたらしい。

シーザーの慰霊碑/リミラ遺跡/アンタルヤ・トルコ

この地には、英雄ペリクレスのために建てられたへロヌ(祀る社:神社のようなもの)見つかっている。その他、リミラ遺跡で発掘されたものは、アンタルヤ博物館で見ることができる。

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シメナ遺跡

シメナ遺跡(Simena örenyeri)は、度重なる地震や地殻変動のためそのほとんどが海に沈んでしまった。残された遺跡は、本土部分・海中・ケコワ島の3つのエリアにわかれている珍しい遺跡だ。シメナの城がある側は現在、カレ村(Kare Köyü)になっていて、陸路では行くことができない珍しい村となっている。

シメナ遺跡の歴史

カレ村/アンタルヤ・トルコ

4世紀頃、ローマの博物学者プリニウスの記した書面に登場するシメナは、古代ルビア語で「聖なる母の国」を意味するそうだ。リュキア連盟の中でも小さな沿岸都市だったが、現在は、“ケコワ特別環境保護地域”としてトルコ政府によって管理されている、重要な場所となっている。

シメナ遺跡/アンタルヤ・トルコ

地震による地殻変動の為、シメナの遺跡の半分が深さ4~5mの海中に沈んでしまった。約300人収容の小さな劇場、貯水槽、神殿や教会、城塞が残されていて、特にネクロポリス(墓地)は、見る人の印象に残るシメナの遺物とされる。

シメナ遺跡のハイライト

カレ村城塞から見た景色/アンタルヤ・トルコ

まずはカレ村にある城塞へ行くことをおすすめしたい。特に天気が良い日は、ここからの景色は絶景なのだ。向かいの大きな島ケコワ島、サチマ・クルシュン・パパズの3つの小島が見える。海になっている部分は元は陸地であった。ここに多くの遺跡が沈んでいる。

カレ村/アンタルヤ・トルコ

地震で沈んでしまった陸地がなくなり孤島となったカレ村では、一般家庭でも船を使って移動をしていたそう。自宅内にプライベート桟橋があったらしい。未だにカレ村は、海側からのみアクセスが可能な町だ。村の家々の敷地内でも、遺跡が多く見つかっている。

シメナ遺跡/アンタルヤ・トルコ

遺跡の中で、最も印象的なのは、ネクロポリス(墓地)だろう。墓には、多数の碑文が残されている。水中に埋まった墓碑はフォトスポットになっていて、透き通った海に浮かぶ墓碑がフォトジェニックである。

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最後までご覧いただき、ありがとうございます。

※この記事は、トルコのとりこ(2019/3/14)をリライトしたものです。

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