
イスタンブールを歩こう!ヴァレンス水道橋と3つの必見モスク
公開日 2021年10月27日 最終更新日 2021年11月3日
イスタンブールには、ローマ帝国時代に築かれた遺跡が多数残されている。ヴァレンス水道橋もその一つだ。ローマ皇帝がはるか東の地に築いた水道は、東ローマ帝国、オスマン帝国と受け継がれて、長い間城壁の外から水を供給し続けてきた。それはすごい!けれど、トルコに来てまでわざわざローマ遺跡を見に行くのも…ということで、ヴァレンス水道橋を囲むように建つ3つのモスクを一緒に見学しにいこう。
ヴァレンス水道橋

ヴァレンス水道橋/イスタンブール・トルコ
皇帝ヴァレンスが築いたヴァレンス水道橋(Valens Su Kemerler)は、Bozdoğan Su Kemeri(ボズドアン水道橋)とよばれていて、ファーティフの丘とベヤズットの丘の間にある。建設が開始されたのは123年、ローマ皇帝ハドリアヌス帝の命であった。300年代半ばごろ、皇帝ヴァレンスの時代にアーチ部分が築かれて完成を見たらしい。その後コンスタンティノープル陥落の際に破壊されてしまうが、征服直後、水不足に陥ったことから水道橋は修復され、再び日の目を見ることになった。

ヴァレンス水道橋/イスタンブール・トルコ
水はコンスタンティノープルの城壁の外からひかれ、ベヤズットの丘の地下にある貯水池、スレイマニエ・ジャーミィ、有名な地下宮殿を通って、最終的にトプカプ宮殿まで供給されていたそうだ。

ヴァレンス水道橋/イスタンブール・トルコ
交通量の多いエディルネカプ周辺だから、夜の方が雰囲気があってとってもよかったりする。この橋の下を通る時、思わずカメラにおさめたくなる。

ファーティフ・ジャーミィ

ファーティフ・ジャーミィ/イスタンブール・トルコ
コンスタンティノープルを征服し、イスタンブールをオスマン帝国の首都とした皇帝メフメト二世の命により建てられたモスクは、おそらく、イスタンブールでも格式の高いモスクなのだろうと思う。東ローマ帝国時代、ここには重要な正教会があったのだが、度重なる再建の請願をはねのけてモスクを建て、メフメト二世自身の霊廟も設けられた。イスタンブールで最古のモスクなので、スルタンアフメットからは少し遠いけれど行ってみる価値がある。

シェフザーデ・ジャーミィ

シェフザーデ・ジャーミィ/イスタンブール・トルコ
オスマン帝国10代皇帝・スレイマンと、皇后ヒュッレムの間に生まれた最初の子、メフメトのために建てられたモスクで、シェフザーデとは”息子”の意味がある。オスマン建築を語る上で欠かせない人、ミマール・シナンの手掛けたモスクの一つでもある。腹違いで生まれた長男ムスタファを差し置いて、スレイマン皇帝から後継者として認められていたメフメト皇子は、病により22歳で亡くなってしまった。この辺りの話は、ドラマ『オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~』や『夢の雫、黄金の鳥籠』を読んでおくと、「おぉ、あのメフメトの…」と興味深く見れて楽しいものだ。

ゼイレッキ・ジャーミィ

ゼイレッキ・ジャーミィ/イスタンブール・トルコ
東ローマ帝国時代、首都コンスタンティノープルにあった東方正教会の中でも、アヤソフィアに次ぐ大きさを誇った教会は当時、聖パントクラトール教会とよばれていた。オスマン帝国になってからモスクに改築され、ゼイレッキ教授が神学校で教えていたことから、この名前がつけられたのだとか。このモスクの左側はユネスコの協力を得て修復されているので、訪れたらこちら側をぜひ見るべきだろう。施設にある木造建築とあわせて、ユネスコ世界遺産として登録されている。

実際に歩いてみて

グランドバザール/イスタンブール・トルコ
ブルーモスクやスレイマニエ・ジャーミィまではほとんどの人が見学するコースなのだけれど、ファーティフ・ジャーミィはバスでしか行けず、アクセスが悪いこともあってなかなか行きづらい。スルタンアフメット地区から緩やかな坂道を登りながら、3つのモスクとヴァレンス水道橋を巡るコースは、半日観光コースとなる。ちょっと休憩したらグランドバザールでウィンドウショッピングをしながら、ハマムに行ったりすると、もう夕飯食べてホテルに帰る時間だった。イスタンブールは歩いて巡っても全然苦にならないのが最高だ。
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※この記事は、トルコのとりこ(2020/1/1)をリライトしたものです。