
風の時代の水難と地球愛を
公開日 2021年7月23日 最終更新日 2021年9月21日
先日、熱海の土砂災害の報道がされて驚いたものだが、実は、世界では今年の春先から、水の難が続いている。
春、中東で大雨により川が氾濫した。
先日は中国で。
今、トルコの黒海地方でも。
忙しなくなってきた。
水は、洗い流す。
氣枯れを、
滞りを、なくすものだ。
物理的な事象は、それが天候であっても、人の想念が創り出せるものである。
どのような事象が現れてこようとも、丹田に居続けることから離れてはならない。
被害という文字は、本来一体であるべき生命エネルギーから分離してしまった人間が創り上げた言葉である、ということも、忘れてはならない。
見えない何かが、誰かを不幸にしたり、
運命が、人を巻き込んだり、
アンラッキーが襲い掛かったり、
地球の威力によって被害にあったり、
まして、神が人間に罰を与える、
ということは、皆無である。
大雨・台風でも、
地震・津波でも、
火事・火災でも、
事故・犯罪でも、
すべては、自分の人生自分で自由に創っているという、宇宙の絶対的ルールから外れることはないのだ。
私たちは、いつだって自由自在であることを許された存在だ。
自由自在ではないのは、自分の意識のほうであり、
自分の意識を自由自在でなくしているのは、自分に起因しているのである。
しかし。
今回の緊急事態宣言のように、集合無意識的な恐れで創り上げてしまう現実もある。
この場合、必ずしも自分だけの要因ではない。
嫌なら、そこから離れるしかない。
ハワイなり、イギリスなり、に飛んでいくしかないのだ。
いつも思う。
青と緑の地球はいつも美しい。
私たちの想像を絶する愛でもって、私たちを生かしている。
人間一人ひとりの想いやエネルギーが、地球に対して深く影響を与えていることを慮ることを、一瞬たりとも忘れてはならないものだ。