イスタンブール最古のモスク・メフメト二世が眠るファーティフ・ジャーミィへ

公開日 2021年10月23日 最終更新日 2021年10月23日

陥落不能とされた東ローマ帝国の首都・コンスタンティノープルを陥落させたオスマン帝国第7代皇帝・ファーティフ・メフメト二世が眠る場所は、イスタンブールのど真ん中にある。その名は、ファーティフ・ジャーミィ(Fatih Camii)。ファーティフとは、征服者を意味するらしい。モスクがある地区は今、ファーティフ地区とよばれ、イスタンブールにある7つの丘の一つでもある。イスタンブールの中で最古のモスクであり、今も偉大なる皇帝が眠る場所として敬われる、ファーティフ・ジャーミィへ行ってみよう。

征服王メフメト二世って?

メフメト二世/Wikipedia

メフメトは30年にわたる2度目の治世において、コンスタンティノープルやバルカン半島の諸国、アナトリアのトルコ人の諸勢力を征服し、オスマン朝の勢力を急速に拡大させた。これによりオスマン朝は帝国と呼びうる内実を獲得することになる。
コンスタンティノープル征服後、メフメトは「征服の父」「2つの海と2つの大陸の支配者」という称号を用いた。オスマンの勢力拡大はヨーロッパ諸国にとっての脅威であり、メフメトは「破壊者」「キリスト教最大の敵」「血にまみれた君主」と恐れられた。その征服活動よりしばしばアレクサンドロス大王と比較され、彼自身もアレクサンドロスの伝記を好んで読んでいた。
メフメトはイスラーム以外にヨーロッパの文化にも理解を示し、宮廷には国際的な空気が流れていた。そのため、ルネサンス君主の1人に数えられることもある。

引用:wikipedia

イタリア好きだった私が夢中になって全巻読みあさった塩野七生さんの小説の中に、メフメト二世が大活躍する巻がある。『コンスタンティノープルの陥落』だ。“強きオスマン帝国”を世界中に知らしめた人で、征服王とも称されている。その半面、ヨーロッパ出身の母の血を引いているメフメト二世は、ヨーロッパの芸術を愛する人でもあったらしい。野心と繊細さを兼ね備えた皇帝といったイメージで、小説を読んでいても彼の才能が感じ取れる。

コンスタンティノープル陥落のイメージ

幼い頃、母に見せられたコンスタンティノープルを我が手中に収めたのは、1453年のことだった。ファーティフ・ジャーミィが完成したのは、1470年。領土拡大に大きく尽力した皇帝は、1481年に49歳の若さで亡くなっている。

ファーティフ・ジャーミィの歴史

元々は十二使徒教会があった場所

メフメト二世が落としたテオドシウスの城壁(イスタンブールの城壁)は、ちょうどこのモスクのすぐ外側にある。ビザンチン帝国にとって重要とされていた、十二使徒教会(Hagia Apostoloi/On iki Havari)がこの場所にあったらしいのだが、戦乱で破壊され見る影もない。

ファーティフ・ジャーミィ/イスタンブール・トルコ

十二使徒教会は、ビザンチン帝国にとって重要な教会であった。歴代の皇帝がこの教会に埋葬されているからである。そのため、オスマン帝国がこの地を征服した後も、「この場所に十二使徒教会を再建するべきである」と正教会の主教がメフメト二世へ請願するも、あえなく却下されたらしい。それどころか、皇帝自身の名を戴くモスクを、ギリシャ人建築家に建てさせたのだ。

ファーティフ・ジャーミィ/イスタンブール・トルコ

モスクは、1463年から1470年まで、7年の月日をかけて建設された。神学校、墓、病院、ハマム、バザールがあわせて建てられた、オスマン帝国お得意の複合施設だった。残念ながら、20世紀以降、都市化と火災や地震などの自然災害の被害により、神学校、図書館、墓、病院のみが現存している。

度重なる地震、再建へ

ファーティフ・ジャーミィ/イスタンブール・トルコ

大地震は、首都イスタンブールを200年の間に4度襲った。そのうちの1766年の大地震でモスクと複合施設は完全に倒壊してしまい、修復不可能なまでになったらしい。再建が始まったのは、ムスタファ三世の時代のこと。まず初めに、メフメト二世の墓とその他の複合施設を建て、モスクが完成したのは、1771年の4月のことだったようだ。

再建されたファーティフ・ジャーミィ

再建は、ムスタファ三世の命により設計から始まった。メフメト二世の頃から引き継ぎだのは、中庭、一部の壁とモチーフだけ。内部の構造と、複合施設の建物類は、ほぼ全く違うモスクに生まれ変わったことになる。

ファーティフ・ジャーミィ/イスタンブール・トルコ

再建前は、真ん中にドームがあり、メッカの方角を示すミフラブには中央ドームの半分ほどのドームがあり、その左右にある回廊の上には、3つの小さなドーム。内部は美しいタイルで覆われ、ミナレット(塔)が一本建っていたらしい。

ファーティフ・ジャーミィ/イスタンブール・トルコ

再建された神学校は、後に重要な教育システムをつくっていくための、重要な役割を担うことになるらしい。その他、図書館、病院、宿、バザール、ハマムが再建・併設されていた。

メフメト二世のお墓は地下に?

ファーティフ・ジャーミィ/イスタンブール・トルコ

メフメト二世は、1481年に亡くなっている。遺体が埋葬された墓の建物は1766年の地震で倒壊。すぐに再建されたようだ。この墓標から、地下へと延びる道があり、その先にメフメト二世が眠っているそう。この地下は、十二使徒教会時代から利用していた地下室とされているらしいのだが、はっきりとメフメト二世の遺体があると確認したわけではないようだ。

ファーティフ・ジャーミィは入場無料だけれど、たまには入口付近で寄付をしてみるのもいい。レンタルのスカーフをつけると、一気にイスラムを旅する気分になるのが毎回新鮮。

アクセス

ヴァレンス水道橋と周辺/イスタンブール・トルコ

観光の中心である旧市街・スルタンアフメット地区から、ファーティフ・ジャーミィは遠い。バスで行く方法もあるようだが、バス路線がわかりづらい。
徒歩で行ける余裕がある場合は徒歩がおすすめだ。
グランドバザールやスレイマニエ・ジャーミィからおおよそ30分ほどで到着する。
途中、ヴァレンス水道橋や、シェフザーデ・モスクなどの観光スポットがあるので、立ち寄りながらいくといいかも。

 

 

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

※この記事は、トルコのとりこ(2019/12/9)をリライトしたものです。

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