広大な遺跡と先進的医療施設!ペルガモン遺跡

公開日 2021年10月2日 最終更新日 2022年2月28日

ベルガマ(ペルガモン)遺跡(Bergama Antik Kenti)は、エフェス・トロイと並ぶエーゲ海の3大遺跡とも称される重要な古代遺跡の一つだ。2014年にユネスコ世界遺産リストに登録され、毎年100万人の観光客が訪れているようだ。ペルガモン遺跡は広い。アッパーとよばれる丘の上と、ローワーとよばれる丘の下にある2つのエリアにわかれている。見所が多いベルガマ遺跡だが、中でも急傾斜に造られた劇場が外せないスポットだ。広大な敷地に繁栄を誇った大都市ペルガモンは当時、最先端の医療を施す医療先進国でもあったようだ。ペルガモン遺跡についてまとめてみた。

ベルガマ(ペルガモン)について

ベルガマ(ペルガモン)があるのはここ

トルコ・エーゲ海地方にある古代都市遺跡地図

エーゲ海に並ぶ古代ギリシャの重要な古代都市遺跡の中の一つだ。トルコで4番目に大きな大都市であるイズミルが最寄の都市である。

 

ペルガモン王国とは?

ベルガマ遺跡/イズミル・トルコ

アレキサンダー大王の死後、フィレタイロスという人物が、アレキサンダー大王の残した遺産を使ってペルガモン王国を建国。紀元前283年のことだった。アラブ人の侵攻をうけて滅ぶまでおよそ150年間、この国は政治・経済・文化の多方面で栄華を誇ることになる。ここペルガモンは、山の上のアッパー・アクロポリスと、中腹のローワー・アクロポリスにわかれて暮らす豊かな国であった。

アッパー・アクロポリス

頑丈な城壁に守られたアッパーアクロポリスにあったのは、宮殿や神殿や図書館といった施設。アッパー・アクロポリスには主に、王の家族や都市の著名人、知識人、聖職者といった、地位のある人が住んでいた場所だ。急斜面を利用して建設することに成功した数少ない都市ともいわれているらしい。

 

ロープウェイで頂上にある遺跡へ

ロープウェイ/ベルガマ遺跡・イズミル・トルコ

アッパー・アクロポリスとよばれていたエリアへは、ロープウェイ(Bergama Teleferik Akropol)で移動できる。車があれば、車でもアクロポリスへ上がることができ、駐車場もあった。ちなみに、このロープウェイ建設にあたって建設当時、「景観を壊すじゃないか!」との理由で反対派多数であったが、世界中の観光地に倣い建設されたという経緯がある。トルコはすぐにロープウェイをどこにでも造ってしまう。とりあえず、このロープウェイに乗車しながら、ローワー・アクロポリスの遺跡やダムや、眼下に広がるベルガマの町を眺めることができるのがとても素晴らしい(なんだかんだ堪能する)。地上からアクロポリスまでは、約3分半で到着する。

ベルガマ遺跡/イズミル・トルコ

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ロープウェイが到着したら、土産物屋さんを通って、遺跡の入口でチケットを購入しよう。ゲートを入ってすぐのところには、遺跡の地図とともに「当時こうだったんだよ~」という復元模型があるので、参考にしながら見て歩こう。

ベルガマ遺跡/イズミル・トルコ

遺跡の背後にあるケステルダムも一望できるのがまたいい。

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トラヤヌス神殿と図書館

ベルガマ遺跡/イズミル・トルコ

アクロポリスのハイライトは、トラヤヌス神殿だろうと思う。今は列柱を残すのみになっているが、思わず見上げる巨大な柱だけでも十分驚愕である。当時20万冊ほどの所蔵を持つ、世界最大の図書館「ペルガモン図書館」があったのもこのエリアだ。エジプトからパピルスが輸入できなくなった為、世界で初めて羊皮紙が使われるようになったことが、功を奏した形だ。

ペルガモン博物館予想図:wikipediaより

上の方にあるのが、トラヤヌス神殿、そしてその右側には、ゼウスとアテナの祭壇があった。現在、この祭壇はドイツのペルガモン博物館で見ることができる。トルコでは「ドイツが密輸したのだ」とのいうことになっているようなのだが、実際はどうなのだろうか…。客観的にみれば、ドイツが保護してくれた、ともとれる。

ベルリンにあるペルガモン博物館:wikipediaより

ペルガモンを発掘していたドイツ人考古学者によって運ばれたそうなのだが、これを持ち出して再現するってさぞかし大変だったのではないだろうか。あるべきところにあるのが一番良いと思う。

急傾斜の劇場

ベルガマ遺跡/イズミル・トルコ

1万人収容可能な劇場は、急斜面に造られていることであまりにも有名なフォトスポットだ。こんな急斜面によく作ったものだ、と感心しきり。当時は最高の音響を誇っていたらしい。劇場なのに舞台が無いのは、木造組み立て式だった為なのだそう。ベルガマ市内が一望できるフォトスポットになっている。

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ローワー・アクロポリス

ローワー・アクロポリスはちょっとマイナーなエリアで、訪れる観光客もまばらだ。見所の多くはアッパーにあるからだろう。壁に守られた山の中腹にある町には、ヘレニズム時代最大の体育館、ヘラとデメテルの聖地、アゴラ、住宅、商店など、庶民に近い施設があった。アッパー・アクロポリスに住まう人々も、道を降りて、ローワー・アクロポリスにあった商店や市場で買い物をしていたらしい。アッパーからローワーまで歩くと30分かかるので、タクシー利用をおすすめする。

 

ヘラとデメテルの聖域

ベルガマ遺跡/イズミル・トルコ

ヘレニズム時代に建てられたヘラとデメテルの神殿があったエリア(Hera ve Demeter kutsal alanları)は、体育館の北側にそれぞれある。ローマ時代に大理石の柱を追加して完成形となったが、今は柱しか残っていないエリアだ。アッタロス二世時代に建築されたという碑文が残されていて、丸いベンチや彫像の土台、円柱が残されている。当時は入口にポーチのある荘厳な神殿だったようだ。東側には、800人が同時に宗教的な儀式に参加できるエリアがあったそう。

ヘレニズム時代のスタジアム

ベルガマ遺跡/イズミル・トルコ

ヘレニズム時代最大のスタジアムと円形競技場(Helenistik dönemin)がローワー・アクロポリスにあった。壁のすぐ近くにはスタジアムと円形競技場が、その上には神殿や聖域、噴水や市場や商店街が広がる町。中心地には、市民が集まれる集会所があったらしい。まだ発掘段階なので、これからいろいろ判明するのだろう。

アッパーでもローワーでもない場所にある遺跡

アスクレピオン

アスクレピオン(Askelepion)とは、いわば健康管理センターのようなもの。ローワーにあってもいいような施設ですが、人口が増えて土地を広げ拡大していったため、この場所に建設されたらしい。最先端の医療を誇っていたペルガモンにはなくてはならない施設となったのだ。

ベルガマ遺跡/イズミル・トルコ

紀元前4世紀に建てられた癒しの複合施設・アスクレピオンを聖域として、そこへと至る道にVia Tecta(聖なる道)と名付けたのは、ローマ時代のこと。トンネルになっていて、1kmほどの舗装された道だ。

ベルガマ遺跡/イズミル・トルコ

トンネルを抜けると、並木道となっていて、入口の右側に図書館ホール、左側にはゼウス神殿があった。本格的な治療が可能で、水の音による治療、睡眠・食事療法、音楽や泥やさまざまな自然な癒しの治療が試みられていた。また、ここには、クレオパトラも入ったと信じられているペルガモン温泉があった。アスクレピオンは、ベルガマ市内から4km離れた小高い丘の上にある。

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クズル・アウル/バジリカ

ベルガマ遺跡/イズミル・トルコ

ベルガマ市内から一番近い場所にある遺跡が、このクズル・アウル(バジリカ)(Kızıl Avlu/Bazilika)だ。残念ながら今は外壁が残るのみ。レンガ造りの建物の正面には大きな中庭があるため、「クズル・アウル(赤いホール)」と呼ばれていた。高い壁で外から見えないようになっていて、神殿は西側にある3つのゲートから入るようになっいる。エジプトの神々:セラピスとイシス神のために、ローマ時代に建てられたが、ビザンチン時代初期に、アナトリアの初期の7つの教会の1つとして使用されることになったものらしい。

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アクセス

ベルガマ市内/イズミル・トルコ

イズミルとベルガマを結ぶ鉄道路線・Izban(イズバン)は、今後開通する予定だが未開通である。
2021年10月現在、ベルガマ遺跡に行く場合は、イズミルのヒラル駅からイズバンに乗車してAliağa(アリアー)駅へと向かう。
下車後、835番の市バスに乗り継ぐ。

IZBAN公式サイト

www.izban.com.tr

ESHOT(イズミル市観光局)公式サイト

https://www.eshot.gov.tr/tr/Anasayfa

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

※この記事は、トルコのとりこ(2020/1/26)をリライトしたものです。

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