
伝説のトロイの木馬と博物館へ!世界遺産・トロイ遺跡
公開日 2019年7月28日 最終更新日 2021年10月10日
ホメロスの叙事詩『イーリアス』に登場するトロイ。人々は長い間、ただの物語と信じていた。ところが、ドイツ人考古学者シュリーマンは、ここトロイ(Truva Antik kenti)を発掘することに成功。見つかった当時は、「えっ、あれ本当にあったんだ!」という衝撃を世界中に与えたらしい。加えて、近年公開された映画『トロイ』は、さらにこの地に光をそそぎ、トロイが脚光をあびるきっかけとなったようだ。ここトロイは世界での指折りの有名な古代遺跡で、1998年にユネスコ世界遺産リストに登録された。2018年に「Troy Year」を迎えたトロイ遺跡に、ますます注目が集まっている。トルコツアーでは欠かせない遺跡の一つ、トロイとは?
トロイの木馬、ホメロス叙事詩『イーリアス』おさらい

トロイの木馬/トロイ遺跡・チャナッカレ・トルコ
紀元前800年ごろに出された、ホメロス著『イーリアス』。ギリシャ神話にも登場してくるアキレスや女神アフロディーテ等が登場する叙事詩で、トロイ戦争が描かれている。イーリアスによれば、スパルタ国王の美しい妃ヘレネとトロイの王子パリスは恋に落ち、ヘレネは彼とともにトロイに行くのだが、これにはもちろん夫であるスパルタ王は激怒。スパルタ国王はトロイへ攻め込むこととなる。難攻不落で有名なトロイは落ちず、味方には大きな犠牲が出たらしい。

トロイ戦争イメージ
スパルタ軍は、負けを認めて退散する際、「贈り物」として、巨大な木造の木馬を城の外へ置いて兵を引き上げた。トロイは勝利を祝い、この贈り物が神への奉納品であると信じ込み贈り物を受け取り、城壁の中に入れてしまう。
ところが、この木馬の中にはスパルタの兵士たちが隠れていたのであった。その日の夜、街の住民が眠っている間に木馬から出た兵士たちは、城外から舞い戻って来た他の兵士を門を開いて中に入れ、兵士が放った火によって城内は炎上。あっという間に落城してしまう。なんで怪しまなかったのだろうかと思ってしまうが…。
トロイ遺跡の発見とシュリーマン

ホメロスの叙事詩/Wikipedia
イーリアスは、あくまで神話を元にした叙事詩であり、歴史上なかったことである、と人々は信じていた。しかし、有名なドイツの考古学者シュリーマンは、トロイの木馬伝説を信じていた。「頭おかしい」という周囲の冷やかしも気に留めることなく、1871~1873年頃に現トロイ遺跡のあるヒサルルックの丘を発見し、発掘を開始。見事に遺跡を掘り当て、現在もなおドイツによる発掘が続けられている。
トロイ遺跡へ行ってみよう!
トロイ遺跡があるのはここ

トルコ・エーゲ海地方にある古代都市遺跡地図
画像が荒くてすみません。エーゲ海側には、北から、トロイ遺跡、ベルガモン遺跡、エフェス遺跡、ヒエラポリス遺跡、と並んでいて、この地図より南には世界遺産登録されたアフロディシアス遺跡、クサントス・レトーン遺跡と、古代ギリシャ遺跡がズラリ並ぶ。
ギリシャと海を挟んた対岸にあるトロイは、イズミル、イスタンブール、ブルサといった大都市からのアクセスがいい。最寄りの町はチャナッカレという都市だが、トルコで4番目に大きな都市であるイズミル市からIZBANという電車で行くことができる。
9層にも重なる遺跡

トロイ遺跡/チャナッカレ・トルコ
大都市トロイは、繁栄と衰退を繰り返し、その遺跡の層は9層にものぼっているそうだ。一番古い層は、紀元前3000年~2500年頃のものとされ、一番新しい9層目は、紀元前85年頃~紀元後500年頃までのものようだ。トロイ遺跡の素晴らしいところは、自然災害や戦争で町が破壊されても、また同じところに街をつくり上げたところにある。どれだけこの地が愛されてきたかがわかるとともに、ギリシャの人はなんて忍耐強くパワフルなのだろうか、とも思う。
エーゲ海最大の町・トロイア

トロイ遺跡/チャナッカレ・トルコ
この地域に初めて人が住み着いたのは、今から7000年~4800年前ごろとされている。果樹を収穫し、釣りをして、陶器と銅器を作って生活をしていたようだ。トロイには、さまざまな場所から人が集まり、やがて羊飼いや青銅器文化が入ってきて、ピラミッドが建設される400年前には、要塞が完成。小麦や大麦、エンドウ豆、ヒヨコマメ、ソラマメなどの豆類や、さまざまな種類の野菜を栽培していたことがわかっているそうだ。

トロイ遺跡/チャナッカレ・トルコ
ダーダネルス海峡を臨む高台に建設された町は、エーゲ海最大の町になっていた。「固い壁に囲まれ」て、「強い塔」があって、「広い通り」があり、「風が強い」町であると記されている。紀元前300-2500年頃からこのトロイの歴史は始まる。人々は、南向きのメガロンとよばれる邸宅に住んでいました。街は、傾斜した壁に囲まれていて、人々を守っていた。建物の基礎部分は石ででき、上部は泥レンガでできていた。

トロイ遺跡/チャナッカレ・トルコ
この地を支配したトロイア五世の邸宅や家具は相当豪華だったようだ。東向きのアテナ神殿も見てみたかった。遺跡は歩いてまわれるように整備されていて、当時の暮らしを想像すると、少しワクワクしする。
トロイ考古学博物館が完成!でも…

トロイ年の公式サイト/トロイ・トルコ
2018年、トルコは「トロイ年」と位置付けた。この年、待ち望まれていたトロイ博物館が完成した。「見所の少ないただの遺跡」といったイメージを払拭させる博物館は、観光客をさらに招致するための救世主になると期待されていたのだ。博物館が完成したことにより、エフェス遺跡に比べてやや地味だったトロイ遺跡の価値が急激に向上し始めたようだ。しかし残念なことに、発掘物の多くは海外に持ち出されてしまっている。バラバラになってしまったトロイ遺跡の発掘物は、44か国に散在。アメリカから一部の黄金の発掘物が返還されてきたそうだが、まだまだ展示スペースに余力があり、戻ってくるのを待っている状態のようだ。それまで力を入れてこなかったトルコ側にも責任はあるのだろうが、この機会にトロイに返還することを求めていく目的があるようだ。
トロイ博物館公式サイト(トルコ文化観光省)
トロイ年2018年公式サイト
トロイ考古学博物館
チャナッカレにもトロイの木馬が!

チャナッカレにあるトロイの木馬/トルコ
トロイ遺跡へと向かう際、拠点になる大きな街がチャナッカレ(Çanakkale)だ。トロイ遺跡には、中に入れる木馬が設置されていて、フォトスポットとして活躍しているのだが、もっとリアルな木馬が、ここチャナッカレに設置されていた。トロイに行く時間がない!という方は(そんな人チャナッカレにはいかないと思うが…)、ここで写真を撮って行く方もいるらしい。
トルコ大使館PR動画
英語訳のみですが、トロイ遺跡とチャナッカレの雰囲気を動画で見ることができる。
入った人の評判はイマイチ?!

トロイ遺跡/チャナッカレ・トルコ
トロイ遺跡に行った人の話は、どれも「う~ん、ただの野原に石が散在しているだけかな」という意見が多い。博物館に立ち寄らず遺跡だけを訪れるなら、正直エフェス遺跡に絞ったほうがいい、と私も思う。博物館ができたことで評判が上がってきたわけだが、今後各国から博物館へと発掘物が戻されてより素晴らしい遺跡めぐりができることを願いたい。
アクセス

チャナッカレ/トルコ
拠点となる街は、チャナッカレだ。各都市から飛行機またはバスで入ることができる。現時点(2021年8月現在)では、チャナッカレ⇔トロイ遺跡間の交通の便がとても悪い。近くの村が運営しているミニバスで行くしかないので、チャナッカレ市内の旅行会社でバスツアーを探す方が賢明かもしれない。
フライトで
各都市からチャナッカレ空港へ。
空港からチャナッカレ市内までは空港リムジンバス(Havaş)を利用することができる。
トロイまではチャナッカレ市内からミニバスに乗車。
テヴフキイェ村(Tevfikiye Köyü)行きのバスに乗車するのだが、乗り場が不明なため、ホテルフロントまたはオトガル(バスターミナル)で確認しよう。
一時間に一本程度出ている。
チャナッカレ空港公式サイト
バスで

最大手・メトロ社のバス
各都市からチャナッカレ・バスターミナルへ。
トロイまではチャナッカレ市内からミニバスに乗車。
テヴフキイェ村(Tevfikiye Köyü)行きのバスに乗車するのだが、乗り場が不明なため、ホテルフロントまたはオトガル(バスターミナル)で確認しよう。
一時間に一本程度出ている。
チャナッカレ・バスターミナル
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
※この記事は、トルコのとりこ(2019/7/28)をリライトしたものです。