
偉大なる建築家!ミマール・シナン特集~イスタンブール編~
公開日 2021年7月20日 最終更新日 2022年2月28日
ミマール・シナンは、夢枕獏さん著『シナン』で、日本でも有名になった。天才建築家:シナンの歩んだ人生と、オスマントルコの世界に想いを馳せずにはいられなくなる物語だ。また、篠原千絵さんのマンガ『夢の雫、黄金の鳥籠』にも“カイセリのシナン”として登場し、皇帝のお気に入りとなった経緯が描かれている。2018年に没後430年を迎えたシナン。トルコ建築史においてなくてはならない重要人物、シナンとは?
シナンの人生

カイセリ市とエルジエス山
ミマール・シナン(Mimar Sinan)は、カイセリのアーウルナス村で1490年に誕生。子どものころ、「デヴシルメ※」と呼ばれる徴兵制度により、イスタンブールに連れて来られた。第十代皇帝スレイマンのヨーロッパ遠征の際、現在のモルドバに流れるプルト川に、たったの13日間で橋を架けたことで、イエニチェリ(オスマントルコ帝国軍)のチーフ建築士に昇進する。

プルト川/モルドバ
彼が生涯で建てた建築物は、92のジャーミィ、52のメスジット(小さなジャーミィ)、55のマドラサ(トルコ語:メドレセ/イスラム教の学校)、7つのダリュルクラ(コーランを暗唱するマドラサのような建物)、20の廟、17のイマレット(貧しい人々への救済院)、3つの病院、6つの水路、10の橋、20のキャラバンサライ(隊商宿)、36の宮殿、8つの地下室、48の浴場を建設し、1588年4月9日に98歳でイスタンブールで永眠した。それにしても、すごい数の作品数である。

スレイマニエ・ジャーミィ/イスタンブール
彼の墓は、イスタンブールのスレイマニエ・ジャーミィにある。最も長く仕えたスレイマン皇帝と、その家族とともに眠っている。
最初の建築はシリア・アレッポに

ヒュスレヴィイェ・ジャーミィ/アレッポ・シリア
シナンが最初に建てたのは、シリアのアレッポにある、ヒュスレヴィイェ・ジャーミィ(Hüsreviye Camii)とされている。スレイマン皇帝時代、アレッポに赴任していたパシャからの依頼で建築された、複合施設だ。
プチ情報シリアのアサド政権によって、ジャーミィ以外の、複合施設部分は破壊されたとの残念な情報がある。複合施設は、オスマントルコを象徴するもの。それが理由での破壊らしい。もし事実であるとするならば、とても残念なことである。
イスタンブールとその近郊で訪れたい建築物10選
ミマール・シナンが、その生涯で残した建築した総数は、365あるとされている。そのうち、200ほどはイスタンブールとその近郊の都市にあった。現代でもその建築を見ることができるのは、58ほど。とてもすべては紹介しきれないため、イスタンブールを訪れたら、ぜひ訪ねておきたいジャーミィを中心に紹介しておく。
1.シェフザデ・メフメト・ジャーミィ

シェフザデ・ジャーミィ/イスタンブール
イスタンブールで、シナンが初めて建てた建築物は、シェフザデ・メフメト・ジャーミィ(Şehzade Mehmet Camii)だ。シェフザデとは、皇子を意味する。スレイマン皇帝と愛妻ヒュッレムの間に生まれた最初の子・第二皇子メフメトのためのモスクだ。メフメトは22歳という若さで亡くなった。愛妻の子であるため、スレイマンによって、次期スルタンとなることを認められていたらしい。後継者の早すぎる死への悼みは、この素晴らしいジャーミィを建てるに至った。ドラマや漫画でこの経緯を知っている方には、ぜひ訪れていただきたいジャーミィだ。

シェフザデ・ジャーミィのドーム/イスタンブール
シナンらしいドームが、とても見事で美しい。旧市街からは少し離れているが、わざわざでも行く価値はある。
2.バルバロス海軍提督の墓

バルバロス海軍提督の墓/イスタンブール
バルバロス・ハイレッティン・パシャは、トルコ海軍を最強に仕立て上げた人物だ。「地中海はオスマンの湖だった」と歴史家に言わしめたほど、強かった。地中海の覇権獲得に大きく貢献したオスマントルコ帝国の海軍提督、バルバロスは、各国にその名を轟かせ、当時、知らぬ者はいないほどの強者であった。その墓(Barbaros Hayrettin Paşa Türbesi)は、ベジクタシュ桟橋のそば、イスタンブール海軍博物館の隣にある。
3.アティック・ヴァリデ・ジャーミィ

アティック・ヴァリデ・ジャーミィ/イスタンブール
「ヴァリデ・スルタン」とは、皇帝の母に贈られる称号のことで、最高位の女性権力者でもあった。スレイマン皇帝の息子、セリム二世の妻であるヌールバヌのために建てられたジャーミィ(Atik Valide Camii)だ。ヌールバヌは、母后として、後宮のみならず、政にも積極的な影響を及ぼした人物で、セリム二世の母ヒュッレムに続き、オスマン帝国を破滅へと進ませた始まりであるともされている。huluで放映されているドラマ『オスマン帝国外伝』にも後半登場してくる、あの女性である。ジャーミィは、1571~1586年の間に建築された。
4.トルコ・イスラム美術博物館

トルコ・イスラム美術博物館/イスタンブール
スレイマン皇帝と兄弟のように仲が良く、皇帝のお気に入りで、長く右腕として活躍した高官、イブラヒム・パシャ。幼い頃にデヴシルメで徴集され、大宰相まで上り詰めたイブラヒム・パシャの邸宅は、トプカプ宮殿のすぐ近く、一等地に建設された。イブラヒム・パシャの妻は、スレイマン皇帝の妹、ハディジェ・スルタン。このことからも、その寵臣ぶりがうかがえる。今もその建物そのままに、トルコ・イスラム美術博物館(Türk ve İslam Eserleri Müzesi)として利用されている。
5.アヤソフィアのミナレット

アヤソフィア博物館/イスタンブール
東ローマ帝国で最も権威のある正教会であったアヤソフィア。メフメト二世がこの地を征服し、オスマントルコとなってからは、ジャーミィに改築された。シナンが建築したとされるのは、ミナレット(塔)のみ。4本のミナレットのうち、2本はセリム二世時代に、残りの2本はムラト三世時代に建てられたものと推定されている。いずれも、エディルネにあるセリミエ・ジャーミィのミナレットと類似していることから、シナンによるものと推定されている。アヤソフィアは現在もジャーミィとして利用されているが、観光客は見学することができる。
6.2つのミフリマー・スルタン・ジャーミィ

ミフリマー・スルタン/wikipediaより
ミフリマーは、スレイマン皇帝と愛妻ヒュッレムの子で、皇帝がかわいがった愛娘であった。「シナンが密かに恋心を寄せていた」という噂がある。真実はどうであったかわからないが、ミフリマーの名を戴くジャーミィは、ヨーロッパ側のエディルネカプと、アジア側のユスキュダルにある(Mihrimah Sultan Camii(Edirnekapı/Üsküdar)。どちらも、とても可愛らしいジャーミィだ。
6-1.ミフリマー・スルタン・ジャーミィ(エディルネカプ)

ミフリマー・スルタン・ジャーミィ(エディルネカプ)/イスタンブール
イスタンブール旧市街を見下ろすように、第六の丘に建てられている、エディルネカプのミフリマー・スルタン・ジャーミィ。度重なる地震で修復を重ねながら、この美しい姿を保ち続けている。シングルのミナレットが特徴的で、4つのドームが真ん中の大ドームを支えている構造だ。

ミフリマー・スルタン・ジャーミィ(エディルネカプ)/イスタンブール
内部のステンドグラスが可愛らしい色使いで、鮮やかな緑色が印象に残る。1570年頃完成したこのジャーミィもまた複合施設で、お墓が併設されている。眠っているのは、ミフリマーの家族のみで、彼女自身はここには眠らず、スレイマニエ・ジャーミィに永眠している。
6-2.ミフリマー・スルタン・ジャーミィ(ユスキュダル)

ユスキュダルのミフリマー・スルタン・ジャーミィ/イスタンブール
イスタンブールのアジア側、ユスキュダルにあるミフリマー・スルタン・ジャーミィは、ユスキュダル桟橋のすぐ近くにある。ユスキュダルエリアのシンボル的な建物になっている。エディルネカプのジャーミィよりも小さめだが、中は驚くほど美しい。こちらも、アーチを彩る鮮やかな緑色が印象的だ。
7.スレイマニエ・ジャーミィ

スレイマニエ・ジャーミィ/イスタンブール
皇帝スレイマンの勅令により、1550年に着工、1557年に完成したスレイマニエ・ジャーミィ(Süleymaniye Camii)。ブルーモスクやアヤソフィアと並んで、外せないイスタンブールの観光スポットの一つである。スレイマン皇帝自身の廟と、愛妻ヒュッレム、皇子・皇女たちと、建築家ミマール・シナン自身の墓もある。

スレイマニエ・ジャーミィ/イスタンブール
さすがに、スレイマニエは荘厳としか言いようがない。地震や火災の度に修復され、第一次世界大戦中に火薬置き場となっても、当時の姿をそのままにとどめ置かれている。ジャーミィと隣接して、学校や救済院(貧しい人々へスープやパンを配るキッチン)が並ぶ複合施設になっていて、現在でもその多くが残されており、レストランや軍施設として利用されている。
8.セリミエ・ジャーミィ

セリミエ・ジャーミィ/エディルネ
ブルガリアとの国境沿いにある町、エディルネにあるセリミエ・ジャーミィ(Selimiye Camii)は、スレイマン皇帝の後を継いだ第十一代皇帝、セリム二世の勅令を受け、シナンが建築したもの。皇帝からの注文は、「アヤソフィアをこえるドームをつくれ」という難題であった。見事完成させたことを、シナン自身も高く評価し、「最高の傑作」と自らに賛辞を送ったジャーミィだ。

9.ソコルル・メフメド・パシャ・ジャーミィ

ソコルル・メフメド・パシャ・ジャーミィ/イスタンブール
酒に溺れ政をしなかったとされるセリム二世の治世を支えた、凄腕の高官、ソコルル・メフメド・パシャ。オスマントルコ帝国の名のあるパシャ(高官)の中でも、特にその政治的手腕を高く評価されている。1571年~1572年頃に完成したジャーミィ(Sokollu Mehmed Paşa Camii)は、スルタンアフメットの裏路地に、ひっそりとある。高品質なイズニックタイルを贅沢に使ったジャーミィ内部は、見ごたえ十分だ。
10.リュステム・パシャ・ジャーミィ

リュステム・パシャ・ジャーミィ/イスタンブール
エミノニュ桟橋の広場に面するリュステム・パシャ・ジャーミィ(Rüstem Paşa Camii)は、キャラバンサライ(隊商宿)を備えた複合施設で、1561~1562年に完成した。リュステム・パシャは、皇帝スレイマンの愛娘、ミフリマーの婿となった大宰相だ。

リュステム・パシャ・ジャーミィ/イスタンブール
このジャーミィは、イズニックタイルを贅沢に使っていることで知られている。「ターキッシュ・タイル」として有名な、チューリップ柄のタイルを中心に、内部はどこまでも青く彩られ、フォトジェニックなジャーミィなのだ。ジャーミィのすぐ隣は、エジプシャンバザール。ショッピングついでにでも、立ち寄りたい。
まだまだある、シナンの作品

シナンの像
シナンが生涯で残した作品のほんの一部である。今後も機会があればノートに残していく。シナンに興味がありトルコを訪れるなら、塩野七生さんの『コンスタンティノープルの陥落』もあわせて読むことをおすすめしたい。シナンの生きた時代と皇帝スレイマンとその周囲の関係について、よく理解ができ、旅の楽しみが倍増するはずだ。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
※この記事は、トルコのとりこ(2020/8/26)をリライトしたものです。