感情に流されないことの大切さ。

SPIRITUAL/HEALING

聖書の一節で、

狭き門より入れ。
滅びに至る門は大きく、その道は広い。

という一節があります。
これは、昔々のその昔、イエスが生きていた頃、
地球上の人々の心と、
ありとあらゆる場所が荒れ放題だった頃、
”荒ぶる神々”が地上を制覇していた頃、
「天国にいきたいかー!?」
と投げかけられたときのお話です。

今は?
ライトワーカーが増えている今、
狭き門は”普通のサイズ門”へと変わってきています。
つまり、本当の自分に戻る道は、容易になってきている、
ということです。
けれど。
まだまだ、
荒ぶる神々は私達の中にまだまだ健在のようです。

一部の方を除き、天国に戻ることを望んでいる方は
多いと思います。

もし天国へ帰宅する切符を望むのなら、
まず最低限にやっておきたいこと。
それは、
決して、その場その場で感情に流されてはならない、
ということです。

流されてしまうのなら、広き門がある世界にどっぷりなので、
狭き門はあまりに遠い世界にある門です。

明らかに、知人や友人やお客様(!?)や上司が、
非常識であり得ない言動や態度をあなたにとったとしても、
明らかに、こちらが常識的に絶対に正しいに決まっているし!
ざけんなよー!!
と怒り心頭でも、
怒りや復讐心や悲しみや嘆きに心を明け渡してはなりません。

その場合、絶対に、ぜーったいに、
相手は自分を見せてくれている鏡です。

「いやいや、鏡なわけないでしょ、
そうじゃないから、ぶつかるんでしょ?」
とよく言われますwwが、
本当に鏡ではないのなら、絶対にぶつかりません。
そんな現実を創造する必要はないからです。
本当に鏡ではないのなら、相手と自分に何が起きても、
愛と悦びしか湧き上がってきません。

感情で荒ぶる神々になりすます時、
「鏡だったっけ」と、思い出してください。
そして自分自身の心の声と態度と言動を
よーく鑑みて、自分だった!と氣がつけたのなら、
それは狭き門へと至る道を進んでいます。

本来、私達は、
愛と悦びの中にのみ存在しています。

なぜなら、私達は神の御子だからです。

ちょっと宗教っぽいけれど、
でも本当です。
神に似せて創られた、
神の完全さの中に、広大無辺な愛の中に、
私達はいつもいつも抱かれて、守られて、
育まれています。