つながりを取り戻した世界へ

SPIRITUAL/HEALING

物理的社会に生きている私たちにとって、「つながり」とは、友達だったり、飲み友達だったり、SNSのフォロワーやフォローだったり、家族だったり、パートナーだったり、同僚だったり、大切にしている物だったりする。目覚めや悟りを完了させるためや、引き寄せの法則を容易にさせるには、こういった物理社会のつながりも大切だけれど、もっと広い、意識体・エネルギー体としての「つながり」を取り戻す必要がある。

必要があるというより、つながっていないといつまでも、被害者意識のまま生きていくことになる。

そこには、自分の責任の範疇ではどうにもならないことや、自分や相手に対して、”敵か味方か”や”白か黒か”があったりする。

「誰かに何かをされた」
「病気になった」
「奪われた」
「文句をいわれた」
「うまくいかなかった」
「こんな家系にうまれた」
などなど、あらゆる「うまくいかないこと」がある場合は、被害者意識のままである。

被害者がないとき、

「自分がこうする選択をした」
「病気になることを選択した」
「奪われてもいいことを選択した」
「文句言ったから言われた」
「うまくいかなくていいと思った」
「この家系に生まれるのが最高の選択だった」
という風に別の視点からの氣づきが、自然と生まれるのだ。

完全に被害者意識がなくなったとき、
光の世界との一体感が生まれる。
この世界は、創造主が「わが子らが、幸せであり続けるように」と祈り願って完成した世界だ。
その世界の光と再びつながるとき、
あらゆる世界とのつながりを取り戻し、
自己価値はこれまでにないほど向上し、
自己の中に眠る特別さは消えてゆくだろう。

そうして、感謝の響きにのって、本当の自分の望みが、動き出す。

まるで光でできた動く歩道に乗っているように、
自動的に、祈りや願いが叶っていくのだ。

天気や電車の時間や時間や人との出会いでさえ、
すべて、自分の意志と選択にもとづいて、創り出していくことができる。

自然とそうなっていく、そして、あっという間に創造が完成している。
そのエスカレーターに乗っていくことになる。

そこには、幸せと、楽々と、豊かさと、健やかさと、満たされた感覚しかない。
あいつはあいつ、私は私、がない。
誰にも何にも病気にも戦争にも自然災害にもしばられることがない。
すべてが自由で許されている世界に生きる。

本当に、そうなりたいかどうか、それは本心なのかどうか、自分自身に問いかけてみることも大切だったりする。