人生がうまくいかない人へ「いつかのルールと決め事」を手放そう

SPIRITUAL/HEALING

いつだったか、もう忘れてしまうくらい遠い昔であっても、その時に深く記憶に残ったことや思い出は、転生しても忘れることはない。

その思い出や記憶は、この世界で、自由に創造していくことを邪魔する。

あの時、あの人は私を責めたてた。
あの時、私は罪を犯した。
だからあの時、私はこの世界と自分とみんなを責めたてた。

自分や世界を救うために、
それでも、この世界で生きるために、
私は最善の選択をしたはずなのだけれど、
結果、うまくいかなかったことを、
何度転生しても、忘れられなくて、責め続けてきた。

「私にはできない」
「私は失敗する」
「私は愛されない、愛してもらえない」
「私はなんてダメな人間なのか」

人間が定めた時の定めにおいて、何万年という月日が流れても、
ずっと変わらぬまま、苦しいままだった。

その因果にしばられ続けて、
結局、「天の鳥船」に乗って自由に創造し動き回ることを、
できないままでいた。

なのに。

それでも、傷ついたまま、苦しいままでいたい。

その理由はなぜだろう。
そうすることが、楽だからだ。
もう、金輪際、自由な世界を創造して生きる責任を引き受けるのが、
ほとほと疲れ果てたからだ。
創造するのが、嫌だからだ。
怖いのだ。
自由に物語を紡ぎ生きることが、
怖くて怖くて仕方ないのだ。

だから、いつまでも、その傷を手放さず、
自分の人生がどんなに堕落しても、そのままにしている。
停滞どころか、むしろ後退していって、崖から落ちそうになっているにもかかわらず、
それでも変わろうとしないのは、
被害者のままでいて、創造主に対して文句を言っていたいのだ。
「こんな世界で生きてなんてやらない」
「お前の創った地球は、こんなもんだ」
クソ創造主め!と文句を言っていたいのだ。

創造主は、みんなを深く愛している、なんでも赦し許してくれる。
だから、それに甘えて、
「今はまだ被害者のままでいい、許されなくていい、赦される必要もない」
「今はまだ傷ついたままでいい、自分の人生の創造主になんて、なってやらない」
そう思っているのだ。

人間は、表面では、すべての記憶を失ったように見せかけながら生きているけれど、
本当は、深いところでは全部わかってやっている。
つまり、確信犯なのだ。

それなら。

なぜ、私は今ここにいるの?
いつものように、創造主に文句を言っていたいから?
被害者になって、被害者の会に所属したままでその愛を受け取らないため?
まだいい、先延ばしでいい、今は幸せにならなくていい、自分の人生なんて創らなくていい、
いつまで私はそう言って甘える子どものままでいるの?

怖れることも、
傷つくことも、
悲しむことも、
失敗も、
ムカつくことも、
人生にはつきものだろう。

いつまでも、甘えん坊の子どものまま、いたいけれど、
大人の世界は、子どもの見ていた世界よりも、もっと自由で何でもできる。

ましてや、
怖れと不安と不満と文句とにがんじがらめになっている今よりも、
嫌な記憶を創ったあの時の方が、まだ自由だった。
やりたいことをやっていたじゃないか。
勝手に傷つき、「ダメなんだ」とルールに縛って、苦しくなっていたのは、私だった。
私が勝手にルールを生み出して、苦しくなっていた。

とっておきの秘密は、
しばられている鎖はもう、とっくの昔に解けている、ということだ。

つまり、自作自演で縛られているフリをしているだけなのだ。

はばたけ、天の鳥船に乗って。

はばたけ、どこまでも、自由自在に、自分の好きな空間へ。