願いや祈りを発したら、その瞬間、宇宙は動き始める。
「叶えてあげよう」と動き出す。
そうしたら、
私たちは何かしらの行動が必要になるものだ。
「100万円ください」
とお願いしたとき、宇宙はすぐに動き出すのだけど、
「そんなわけない」
と一瞬でも否定した段階で創造は止まる。
物理的次元の体も、幽霊界も、三位一体となり、疑わず信頼し、“受け取れた”ことに感謝する。
会社員で毎月のお給料が決まっていて、
ボーナスはまだ先で、
他に収入の見込みがなくても、
宇宙はすぐに動き出して、
そこまでの道のりを見つけてくれ、
私たちにささやく。
私たちは、その「ささやき」を受け取る必要がある。
ささやきは、そっと内側でひびくもので、
はっきりと明確に見えたり聞こえたり感じたりはしないかもしれない。
そっと内側にひびく「ささやき」を受け取ろうとするとき、
痛みがあると、痛みにさえぎられて受取りづらい。
自己卑下があると、素直になれず受取りづらい。
批判や文句があると、低波動のひびきに遮られて受取りづらい。
自分が今いる世界が変わってしまうことが怖いと、受取りづらい。
安心して、祝福感謝のひびきの中にいるとき、
その「ささやき」は受け取れる。
ふと、リラックスした瞬間に。
ふと、静かになった瞬間に。
それは、茶碗を洗っている時かもしれない。
電車の中でまどろんでいる時かもしれない。
朝方、目覚める瞬間かもしれない。
または、
何度も見る数字となって、
何度も出会う看板となって、
ドラマの中のセリフとなって、
家族や友人の言葉となって、
受け取れることもある。
「私は今、受け取ってさらに幸福になる覚悟はあるだろうか」
「私は今、あぁ、もう変わってもいいなぁ、と決めているだろうか」
「私は今、人生が激変していってもいいなぁ、と悦んでいるだろうか」
受け取ることは難しいけれど、
受け取り変わることは、宇宙の成長であり、私たちの日常なのだ。