【フローライト日記】フローライトを再び始める

SPIRITUAL/HEALING

フローライトに出会ったのは、かれこれ6年くらい前。小さな小瓶に入った、透明な得体の知れない酸っぱい液体に、さほど興味はなかった。それでも、「霊障とれるよ」とか、「ポジティブになれるよ」とか、「うつもガンも治るよ」という、甘い言葉に誘われて、氣が向いたときや、疲れたときだけ、ジュースに混ぜて飲んだりしていた。それが、今ふたたび私の中で復活した理由は、私自身と来てくださるお客様が、得体のしれない病や恐れといった意識から完全に脱却するため。

ネガティブを消し去りたい!という強い願い

悩みがあるから前に進める

中学のころから、いわゆる「もらっちゃう」霊媒体質だと思っていた。氣が悪い場所に行けば、具合が悪くなる。名前を出していいかわからないけれど、近所にあった竹駒稲荷がそれだ。どこであろうと、「稲荷」にいけば、どうしても具合が悪くなる。豊川稲荷もそうだった。すこぶる相性が悪い。いわゆる「もらって」しまうのは、他の存在のせいだと思っていた。それは今思えば、自分に自信がなくて、グラウンディングができない、地に足がついていない、ふわふわ浮遊している意識で、ただ惰性で生きていたからだ。

慢性的な腎炎、
便秘、
欝、
自律神経失調症。
胃に7つ穴が開いたとき、「北斗七星みたいだねー」って、内科医に笑われたこともあった。
いつも人に怯え、刺されると思っていた。
人に嫌われないよう、小さく丸まっていたから、実際私は姿勢が悪い。
明るくなれない、いつも暗くて、
斜に構えて世の中を見ていた。
「どうせ、私には何一つできない」と思っていた。

ネガティブで病の塊な私に、「変わらなくちゃだめだ!」と思わせたのは、本にも書いた不思議な経験だったわけだけれど、それでも重たい腰をあげて東京に出てきたのは、東日本大震災を経験してこのまま人生を終えることはできないと思ったからだ。

まずは「意識」と向き合う

チャック・スペザーノ博士著『こころを癒すと、からだが癒やされる』を読んで衝撃を受けた。病は心が作っているのだから、心を癒やしたら病が治るのだと言う。そんなわけない、それで治るなら、医者はいらない。この現代において、目に見えない何かが体を完治させるなんて、あるわけがない。

そう思っていたけれど、残念ながら、それは本当だった。

人は本来、愛による愛の為の選択しか、人生でするはずがない生き物だ。周囲が幸せにならないような選択や勘違いを、徹底的に向き合って解いてみたら、鬱や自律神経失調症なんてすぐに消えてなくなった。腎臓病もそうだ。数値になって現れるから、とてもわかりやすい。天候による片頭痛もそうだ。「ロンパリ」だった目も前を向き始めた。

思い込みは恐ろしい。

次に向き合うべき「からだ」

絶版になった、サージ・カヒリキングの名著『アーバン・シャーマン』の中で、ポリネシアのシャーマンに伝わる数々の言い伝えの中に、思念は筋肉に貯まるというものがある。ロミロミでそれをリリースしていくのだそうだ。

アロマテラピーが大好きで資格も取った。マッサージも大好き、ロミロミより強めのリフレクソロジーが好みだ。からだが苦しくなれば通った。一回あたり1万円から2万円を払って施術してもらったら、姿勢は正されて、あんなに苦しかった体のコリや痛みやだるさがあっという間になくなった。

けれど、一週間から一ヶ月したら、またもとに戻る。

この繰り返しだった。

何か根本的に解決していく手段はないのだろうか。「すべてがうまくいくこと」を望めば、答えはすぐにもたらされるものだ。

フローライトとの出会い

カウンセラー仲間からの紹介を受けて出会ったのは、乳酸菌エキス・フローライトだった。酸っぱい味で、安くはないお値段。飲み続けるのは、相当な覚悟がいる。それにこれは、口コミで広がるネットワークビジネスの販売形態しかとっておらず、抵抗しかなかった。それで、私は数年の間、放置していた。

けれど、このフローライトは、塗ると霊障がとれる。首の後ろにさっと塗るとすぅっと体が軽くなる。そういう風に数年間は使っていた。

フローライトの重要性ふたたび:体から恐れを追い出す

コロナウイルスが流行しても、私の頭の中にはフローライトの「ふ」の字もなかった。先祖代々受け継いだ病の元となる「恐れ」は、癒しても癒しても湧き上がるようにおそってくる。病の原因はすべて、恐れだ。恐れが全ての病をつくる。健康になりたい、幸せになりたい、豊かになりたい。けれど、身体がどうしても言うことをきいてくれない!くやしさで、毎日神社に手を合わせ続けた。

ある日。フローライトの師である方から連絡をいただいた。
「久しぶりに会いましょう」
体から恐れが抜けない原因は、腸にある。もう何年も前にそんなことが流行した。NHKの『腸内フローラ10の真実』や、テレビ番組を観て感銘を受けたのに、すっかり忘れていたのだ。筋肉に溜まった恐れをどうにかしたい、どうにかしなければならないとばかり考えていた。一定期間かけて腸を改善させたら、身体は必然的に生まれ変わる。腸で血液が造られるのだから。

「これだ!」

そう、叫びたくなった。
前身で悦びが溢れそうになった。どうして数年間放置していたのだろう。
体のため、病のため、難病のため、鬱のため、それを解決できる、唯一といってもいい、解決方法はここにあった。探し求めていたのはこれだった。

つづく。