チベット医学における病の原因とは?

SPIRITUAL/HEALING

仏教では、病の原因を「貪り」「怒り」「無知」の3つにあるとしています。貪りや怒りといった感情は、今の人間社会では「道徳的に悪」と教えられているため、理性で抑えてしまい、なかなか表面意識で素直に感じられない意識です。これらを押せつければ押さえつけるほど、分離が進み、戻る道のハードルをあげます。自律神経失調症やうつ病などの要因にもなりえます。(分離だけが要因ではないようですが…)

湧き上がる感情を押さえつけるのでも、他人にあたるのでもなく、誰もいない公園などで発狂するなど、とにかく外に出すことがまず大事。内側で叫び続けているのなら、いっそこのこと、発狂して、その後改め変えたほうがスッキリします。「怒りや貪りは悪そのもの、ダメなことだ!」とは、お釈迦様も仰っていないですし、神様も言っていません。貪りや怒りは悪いのではなく、元々神聖な自分にはなかったものであり、傷ついた自分が生み出した感情であるため、手放して楽にハッピーになりましょうよ、ということです。

もう一つの「無知」とは、仏法やスピリチュアルに関する知識が不足するという意味ではありませんが、学校ではこれらの必要な知識を教えないため、本などで、ある程度の学びは必要です。その上で、みんなとともに、神の御子である私たちが、愛と満たされあふれるこの世界を生きていることを、”氣づきを得る”までに至っていない、ということが無知です。

私たちは誰もが、本当はなんでも知っている存在でした。さまざまな経験を重ねているうちに、初めは知っていたはずの真理を忘れているだけです。

すべてを思い出すためには、”明かり”が必要です。ほとんどの方は、自分の信念観念が作り出した結果である物理的社会を、五感で感じても”明かり”は見えず感じられないと思います。私たちを常に照らし、愛し、助けている”明かり”がない状態は「無明」であり、氣づきは得にくくなります。

そしてその”明かり”は、外にはありません。

自分を導いてくれるメンターや師が現実に現れ、一時的に氣をいただけることはあれども、自分はその人自身ではないため、結局、自分の無明が解消されるわけではありません。

”明かり”は、内側にこそあります。この安心安寧の明かりに全身全霊が包まれ満たされることを、自分が本当に赦し許したとき、病をふくむすべてのネガティブは解消し消滅します。

そこに至るまでは、遠い道のりだ、と思いがちですが、今のこの時代、昔のように遠くなどありません。すぐそこです。それだけ、周囲にはすでに悟った”光の人”が多く存在し、無明の人々を助けたがっているからです。

【追記】

すでにできてしまった病には、お釈迦様が「醍醐」とおっしゃった乳酸菌生成エキスを併用していくことをお勧めしています。また、西洋医学はもちろんですが、東洋医学、アーユルヴェーダ、チベット医学、各種代替医療を効果的に活用していくことも必要です。