私たちは、色んなヴェールをまとって生きている。
私たちの目には映ることがないけれど、
そのヴェールが、人生を性格を物語を紡ぎ続け、創り続けている。
そのヴェールは、
先祖から受け継いだものだろうか。
または、
自分の過去から纏い続けているものだろうか。
または、
幼い頃に新たに纏ったものだろうか。
いくつものヴェールを重ね着し続けて、
「これこそが私」
「この感覚こそが私」
そう思ってしまっているけれど、
本当の自分は、そうではないことが多いものだ。
本当の自分に氣がついた時、
この世界のすべてが、
祝福と感謝とで満たされていることに氣がつく。
この世界のすべては、
私たち自身の責任において、
一人ひとりが創造し続けていることに氣がついて、
泣き崩れるだろう。
だって、自分だったのだから。
誰かのせいにしてきた、周囲の出来事のすべてが、
自分で望んでそうしてきたことだったのだから。
私たちには、何でも創り出せる力が、最初から与えられているのだ。
それに、本当に氣がついたとしても、なかなか受け入れられないかもしれない。
「信じられない」
そう言って、しばらく受け入れられない人もいるだろう。
「今まではなんだったんだ」
そう思う人もいるだろう。
私たちが何かを思い描いた瞬間に、すべてはもう目の前の食卓に用意されている。
それだけ、私たちは宇宙に愛され必要とされているのだ。
それだけ、私たちには摩訶不思議な、奇跡を起こせる力を与えられているものだ。
無意識層の苦しみを抜け出して、
そこへ行こう。
それを信じて進むかどうか、
それに氣がつくかどうか、
それが、分かれ道だ。